宮廷料理人だった祖母の手料理で育ち、料理研究家へ。祖母の味を継承する崔誠恩さん(中編)


◆ソウル大学卒業後、11回目のお見合いで結婚

兄4人の中で育ち、幼い頃は荒っぽい遊び方も多かったという崔先生。小学生の時、2階の屋根から「パラシュートを持っているから大丈夫!!」と傘を広げて飛び降り、足を骨折するようなお転婆な女の子でした。




大学は韓国トップのソウル大学校に入学。学生1100人中、女性はたったの120人でした。大学院に進学するも、家の事情で中退。両親からお見合いをすすめられ、お見合い11回目で在日韓国人との結婚が決まり来日します。日本語は来日してから学びました。



その頃、日本は焼き肉ブーム。ご主人の先輩が月刊「焼肉文化」という雑誌を立ち上げ、記事の中に韓国料理のレシピが紹介されていました。崔先生はそれを見て「韓国ではこんな料理は食べない」と発言したところ、「なら、あなたが書いて」と頼まれ、レシピを書くことになります。結果的に3年間も連載が続き、それを一冊にまとめた「キムチでごちそう」(SERIES食彩生活)が出版されました。




◆全国の百貨店で坪単価が日本一のキムチ店を経営

その後、知人から焼き肉チェーン店へ卸すキムチの輸入を頼まれます。韓国中を探し回って、毎週500キログラムを輸出してくれる工場を探し出しました。これが大成功し、ならばと自社ブランドのキムチ店を立ち上げることを決意します。



伝統的な製造法で、100%韓国食材と上質な素材、無添加にこだわり、お祖母様から何度も味見をさせてもらって覚えたキムチの味を再現しようと試みます。ですがレシピ通りに作っても思うような味にならず、何度も工場へ足を運んで納得できる味にしていきました。 



2001年、横浜そごうの食品売り場にキムチの店を出店。1.7坪の小さな売り場でしたが、度々テレビでも取り上げられ、売れに売れて、全国のデパートの坪当たりの売り上げが日本一になったこともありました。現在は通信販売のみですが、当時は西武渋谷店、西武池袋店などへも出店し、最大6店舗を経営するまでになりました。(つづく)

文/名須川ミサコ

はな組 公式サイト

「はな組」とは、編集者・博多玲子と、ライター・名須川ミサコの2人で始めた地方活性応援ユニット。地方の魅力を伝えるべく全国各地をまわり、“ニッポンのお宝” と言える美味や手仕事を発掘。それらをイベントやホームページ、ECコンテンツなどで伝えています。

0コメント

  • 1000 / 1000